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2014年06月09日

父の死

父が6月7日朝入院先の病院で息を引き取りました。
容態急変の知らせを受け弟が病院に向かったのですが残念ながら臨終には間に合わなかったとのこと。

寝たきりになった父親の介護をはじめて約3年、始めの約6ヶ月は自宅で介護。
その後老人専門病院に入院、病院を3回ほど転院しそれぞれリハビリも受けながらの入院生活でした。

前日の6月6日夕方に、虫の知らせというのかなにか、どうしても子どもたちを会わせてやらなければならない気がしたので無理に時間をやりくりして妻と娘5歳と息子4歳を病院に連れてゆき父に会わせられたのはなによりもの救いです。
娘は初めてのヴァイオリン発表会が日曜日にあり父は孫娘に「どんなドレスを着るんだ?」「がんばっておいで」と声を掛けておりました。
ビデオを撮って後日見せるからと約束したのにそれは残念ながら果たせませんでしたが。

2年前に先に逝ってしまった母が父に、孫の成長をある程度見届けられたからもうこっちにおいでと呼んだのだと妻は言います。
脊柱管狭窄で下肢がまったく動かず不自由だったのでそれから早く開放させてやりたかったのだろうとも思っております。

先月には私の叔父(父の存命している最後の兄)と従兄弟が病院に見舞いに来てくれて1時間ほど会話ができたのも幸いでした。


葬儀は身内だけで執り行いましたが、叔父おばやいとこたちも遠路来てくれて僕の知らない父親の話をたくさんしてくれてとても嬉しかったのです。
弟が見つけてきた父の子供の頃の写真を見ながら思い出話も聞けましたし。


このコーナーでは介護の話題を書ければよいと思っていましたが、結局何も書けなかった。

posted by けんけん at 20:00 | 介護始めました
2012年03月15日

父親入院

1月23日父親のショートステイ施設から電話が有り血圧が下がったりして体調不良とのこと。救急車にて大学病院の救急救命センターに移送してもらった。
緊急入院で検査等始まるがどうも誤嚥からの肺炎らしい。母親の二の舞か! 片肺はまったく機能していないし残った方も膿水がたくさんたまって炎症がひどく担当医からは危ないので覚悟してくれとの説明が・・。

それから父親は大変な目にあったのだと思います。
なんどか心不全で死にかけたがしだいに炎症も収まって自力で呼吸ができるようになり、母親の四十九日が終わるころには体力も回復してきて、担当医師から自宅で療養するか専門病院で療養するか決めてくれと説明があったが、経口で食事はとれず点滴など家族で処置することは難しいしリハビリもあるので専門病院でとお願いしました。
そして3月8日やっと老人介護専門の病院に転院できた。ここで療養していくことになります。

このようにあまりに短期間にいろいろ事件が起こるのでブログに書かなかった。書けなかった。

思えば公的に申請して介護が始まったのが昨年の7月下旬、それから家族でできるいろいろな介護方法を模索して、というか家族を中心でやろうとして母親が体調を崩し、僕も弟も仕事を減らすなどし負担や犠牲が大きかった。
結局今年に入って1月に母親が急死しそれに引かれるように父親も死線をさまよった。しかし何とか回復して3月からは病院で療養生活ができるようになった。
せっかく家を介護用に改装したのですがすぐには使うことが無くなったことも。

しばらくは療養先の病院に任せてあるので家族が直接介護をすることはなくなったのは幸いだと考えています。


posted by けんけん at 10:49 | 介護始めました
2012年02月01日

母の死

介護

基本的に月の半分(隔週で)をショートステイ、ショートステイに行かない月木土はデイサービス、他の日は訪問看護士が来たり主治医の往診があったり大学病院に連れて行ったり結構忙しい。

毎日の生活は
ショートステイに行かない日の食事は、朝食は家族が準備し食べさせます。昼食と夕食は宅配弁当でヘルパーさんが食べさせます。もう母親が高齢で毎度の食事の準備が難しくなっている。特にヘルパーさんが来るとか時間に制限があるときなど間に合わなくなってしまうので父親の分だけ弁当にしている。

デイサービスに行く日は家族が朝食を食べさせ下の世話をし着替えをさせ10時ごろの迎えを待ちます。1月はじめまではまだ2階で寝ているのでデイサービスの皆さんが2階から上げ下ろししてくださるのです。(1階にある和室を介護用に改修しているので1月初回のショートステイから帰ってから供用開始です。)
午後帰ってくるとヘルパーさんが着替えとオムツ、夕食の世話をしてくれる。
その後の夜から朝までの世話はは家族が受けつぎます。
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というようなブログの下書きを1月4日に書いてあったのですが僕も風邪をこじらせて病院に行ったりしていて忙しく、5日にショートステイに父親を連れていったあとのことでした。
母親が疲れた、胸が痛いと言い出して7日朝に病院に連れていったところ誤嚥性の肺炎だということで緊急入院、13日に循環不全でそのまま逝ってしまいました。

介護の疲れが溜まっていたのかもしれません・・・・。

風邪などまったくひかずに、また大きな病気などはほとんどしたことが無く健康で丈夫だと自分自身でも自慢していた母でしたが87歳と高齢だったことも有り無理はきかなかったんですね。
力のいることは僕と弟で分担し、ヘルパーさんも1日2回来てもらいデイサービスやショートステイも活用して負担を減らしたつもりだったのだが・・・。
なんでも自分でしないと気が済まない人だったので、特に父親のことは気持ちの上でもすべて背負ってしまったのでしょう。

5日朝ショートステイに送っていく前に母が父に朝食を食べさせていたんですが「これが最後の食事だよ」と父に言ったそうです。
自分の死を察していたんだと思います。

12日に母の容体が悪くなり、急いでショートステイから父親を連れ出して引き合わせ会話もできたのでそれについては兄弟で内心ホッとしています。車椅子で長時間病室にはいられず父も無念だったろうがそれが最後の会話になりました。

15日通夜、16日告別式と慌しく葬儀を済ませ、19日には父親をまたショートステイに送り出したのでした。

posted by けんけん at 09:15 | 介護始めました
2011年11月08日

父親の介護 その2

ここのところあまりにめまぐるしく状況が変わるのでついていけません。
結局こんな形でしか書けずにいます。

初めはある程度家族で看られるのかと思っていたのだがそれは甘かったのです。
寝たきりになると自力で体を動かすことが少なくなることも有り急激に筋力が衰えていくのがわかる。初めは寝返りなど自分で何とかできたのだがそれも出来なくなって床擦れが出来てしまった。これはエアー式の体位変換マットレスを使うことで軽減するようにしたのですが・・。

さらに悪いことに認知症が始まったようなのです。
事の起こりは8月半ばに大腸潰瘍になって2週間入院したとき幻覚や妄想があり初めは家族みんな譫妄(せんもう)だと思っていました。しかしそれが続き昼夜逆転など段々とひどくなるので思い切って9月30日に大学病院の精神科で診察を受けたところ認知症状が認められるというのです。

それから精神科から出される向精神剤を服用するようになりました。ほぼ毎日昼夜逆転しているので夜良く寝られるようにとの処方ですが実際のところあまり効果が無い。薬の適不適や量を探るため通院が続いています。その通院はほぼ週に1回僕が担当で連れて行っているのです。正直疲れています。

夜中に大声で家族を呼びつけるなど振り回されるので11月からはショートステイも駆使してなるべく夜の介護の負担を減らすような工夫をしております。まあ、体が動かないので徘徊や不潔行動などは出来ないのでその点は助かりますが。

どんな介護のかたちが父親本人にとって、また家族にとって一番よいのか難しいところです。

posted by けんけん at 18:26 | 介護始めました
2011年09月27日

その1 まさか僕が介護するとは・・

豊明市に住む78歳の父親が2011年8月始めから脊柱管狭窄による手足の麻痺によって寝たきりの生活になってしまいました。

その介護は母親と一緒に住んでいる歯科技工士の弟が仕事の合間をぬって交代でしていたのだが、母親も高齢なので体力を要する介護作業はできず、弟の負担も増す一方なので僕も週に3日程泊まりで介護の手伝いに行くようになったのです。

これはその介護の記録・・・。



「脊柱管狭窄症」

以前にどっかのタレント司会者も手術をして司会業に復帰したようだが、老年には怖い病気のようです。

父親はかなり前その病気で藤田保健衛生大学病院にかかり首と腰の手術を勧められたが、過去に心筋梗塞で血管バイパス手術を2度経験していて頚椎と腰椎にメスをいれるのが怖いとの理由で手術を断り紹介された近所の整形外科に通院して治療というかしびれなどに湿布で対処してきたようだが今年2月に入って急に痺れや痛みがひどくなってきたようなので僕からもう一度大学病院に戻ってきちんと治療をするように説得しやっと5月から通院が始まったのです。

大学病院への週に1〜2回の通院時は弟か僕が一日付き合っていたりしたのだが(大学病院はすべてに時間がかかる)担当医は手術の可能性も視野にいれいろいろ治療方法を検討してくれてはいたが、数年前よりも症状が進行していること、体力などが落ちていることなど効果的な治療は難しそうでした。

7月に入りとうとう車椅子がなければ移動ができない状態になってしまいました。布団から起きたり一人でトイレに行くのも大変になってきたとのこと。電動ベッドや車椅子が必要になりあわてて介護認定の申請をしたのです。
ほんとうにあれよあれよという間に起こった出来事です。

posted by けんけん at 23:54 | 介護始めました